2011年1月18日火曜日

調査地ケープタウン、マシプメレレ・タウンシップ

1月12日、記念すべきわたしの修士論文を提出しました!!パチパチ

合計103ページ。いやはや、苦労し続けましたが、悔いはありません。

たくさんの人に感謝しています。

調査地の住民のみんなや、ケープタウンの友達、教授や友達みんな、そして親にも。

少しでもわたしが2年間やってきたことを知ってもらえれば嬉しいです。


ろくにブログも書かずパソコンに向かっていたわたし…

4月からの就職を前にすべてブログに書こうと今決意しました。(頑張ります)

わたしと南ア、タウンシップのことすべて書きたいと思います。


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フィッシュフックの駅


フィッシュフックの丘に立ち並ぶ家々


マシプメレレ(Masiphumelele)タウンシップは、ケープタウンの中でも比較的新しく作られたタウンシップであり、住民の多くは東ケープ州出身のコサ人の出稼ぎ移民。

マシプメレレはケープタウン市街地より南部の郊外に位置する。ケープタウン市街からミューゼンバーグまで向かい、海岸沿いの道を走り、喜望峰やケープ・ポイントを含み150種類以上の植物類・鳥類・カキや海藻が生息する喜望峰自然保護地域に向かっていく。

その途中に白浜のビーチをもつフィッシュフック(Fish Hoek)という小さい街がある。

住宅は丘に沿って立ち並び、東側には広大なフォルス湾の眺望が開ける。

マシプメレレに近付くとアフリカ人の男たちが道端にたむろし、14人の定員を超えた乗客を乗せた乗り合いタクシーが走るのが見えてくる。


わたしは2カ月という短期間マシプメレレで調査をしていたが、タウンシップという場所そのものは「治安が悪い場所」と言われている。

白人系南ア人の友人やケープタウン中心部にあるケープタウン大学で知り合った外国人にタウンシップに住んで研究をしていると言うと、あんな危険で物騒な場所に女の子一人で本当に大丈夫なのか、と尋ねられることが頻繁にある。

けっして南ア人でさえ立ち寄らないタウンシップという場所も、入って日々を過ごしてみると普段の人々の生活が待っているだけだ。

しかし決して安全ではないことは強調しなければならない。
現地の住民でさえ常に貴重品は持ち歩かず、ポケットに入れるのはわずかな小銭だけである。暗くなり始めたらギャングが出入りしている場所の近くにはけっして近づかず、外には一人では出歩かないことが基本である。



マシプメレレ内の写真屋さん&バーバー


マシプメレレ内のクリニック





メインロードのポケラ・ロード



マシプメレレは1991年に半合法的居住区として建てられた。

1980年代に400~500人が住み始め、当時は「サイト5」と呼ばれていた。大多数の住民は東ケープ州出身のコサ人であり、マシプメレレとはコサ語で「一緒に成功しよう(let us succeed together)」という意味である。

無秩序な自生的発展をしたために、当初は水道や電気といったインフラ整備、トイレや排水などの衛生環境もない悲惨な状態で自然に居住区が膨張していった。
アパルトヘイト政策が緩和された1990年から他のタウンシップから移住してきた者が多く、今では約26,000人の居住者がいる。

2 件のコメント:

  1. ほんとにお疲れさまだったね!
    一番大変な時期だったかもしれないけど、一緒の時間をたくさん共有できてよかったよ。
    ひとやすみしたら、またこれからもがんばりましょ~~~

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  2. コメント遅くなってごめんね。ありがとう!たくさんお世話になりました♪これからもいろいろ切磋琢磨していこうね~!

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